明けましておめでとうございます。 本年もそれなりに頑張っていきたいと思っています。 どうぞ宜しくm(__)m
あっと言う間にお休みも4日終了。 冬の休みは何もしたくないので、 ゴロゴロしてるだけ(´ー`)┌フッ
テレビを観ながら横になると 100%眠ってしまいます。 そして深夜3時頃に目を覚まし、 そこからずっと起きているという… 当然、電気もテレビもエアコンも点けっぱなし。
こんなんが、私の贅沢でございます(笑)
世の中、インスタ映えとか言って、 画像重視のインスタグラムが主流になっているんですね。
もうブログとかホームページとかは すっかり廃れてしまったんでしょうか?(;^_^A
そもそも、文章自体から離れていく傾向なのかもね。 画像だけで表現して、いいね!で返答。 なんて簡単なコミュニケーションなんでしょう。
若い人は、電話も苦手だと聞きました。 それどこかメールも面倒らしいですね。 確かにLINEは簡単にやりとりできますからねぇ。
そういう時代に生まれてしまったのだから、 批判したってしょうがない。 望んでそうなったわけでもないのだしね。
まぁ私は別にかまいませんけど。 今まで通り、ここでぶつぶつと愚痴を吐き出し続けます!!
そんな今日は、 私の胸の中にずっとわだかまっている 後悔を語らせていただこうと思います。
この反省が、後の自分の行動を変えたと言えるでしょう。
それは、私が20歳の時のこと。
プータローだった私は、 母の束縛が苦痛で、 当時付き合っていた彼と東京に逃亡しました(笑) 友達のアパートに転がり込み、暫く厄介になったあと、 アパートを借りて彼と生活を始めました。
仕事を見つけて就職したのですが、 正社員だったので住民票が必要となり。
やむを得ず、田舎に一時帰省することとなりました。
辛い時代の記憶はほとんど消え去られているので、 この時、どんな顔をして帰ったのか、 そしてどうやってまた東京に戻れたのか、 まったく覚えていませんが(笑)
そんな中でもこれだけは記憶に鮮明に残っているのです。
まだ開通したばかりの東北新幹線。 盛岡に到着したのは、もう夜でした。
地元行きのバスはもう無く、 私はアポも取らずに、兄の暮らすアパートへ向かいました。 当時は、奥さんと甥っ子の3人暮らし。
一番最初の奥さんとはわりと仲良かったので、 全く遠慮もなく泊めてもらおうと思ったんですよねぇ。
駅からはかなり離れた場所だったので タクシーで行ったのですが、 兄の家は既に電気が消えていて、 玄関のチャイムは、壊れているのか鳴らない。
ためらいがちに小さくノックしてみたものの、 ここでなぜか急に自分の迷惑行為に気付き(笑)
そのまま見知らぬ盛岡の街に向かって歩き出しました。
あとで兄に聞いたところ、 何となく人の気配がして、出てみたらもう居なかった、と言われました(悲)
さてどうしよう? ホテルに泊まるにも、ここは郊外。 市街地まで30分以上歩かなければならん。
トボトボと歩いていると、 後ろから一台のタクシーがやって来ました。 仕事が終わったのか、『回送中』と書かれている。
しかし運転手さんは、私の姿を見ると、 『回送中』から『空車』に換えてくれ、 私はそのご厚意に甘えて右手を上げました。
ここで浮かんだのが、 バスガイド時代の友達のアパート。
アパートの住所を伝えると 運転手さんはすぐに向かってくれましたが、 「連絡はしてあるの?」と聞かれ。 していないと言うと、 「じゃあ居ないかも知れないから、 外で待ってるから行って来て。」 と言ってくれたんです。
なんて優しい人(TωT)ウルウル…
友達のアパートは、玄関が共同の、貸間的なところでした。 当時はそういうアパートよくありましたよねぇ。
部屋は真っ暗で、戸をノックしても返事無し。 彼女の名前を繰り返し呼んでも、無音(悲)
すると、前の部屋の住人の女性が顔を出し、 「彼女は寝るとちょっとやそっとじゃ起きないですよ」 と教えてくれ( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ
お礼とお詫びをして、アパートから出ました。
心配そうに待っててくれたタクシーの運転手さんに事情を告げると、
「じゃああとはホテルしかないんだね。 俺が安いところに交渉してあげるから。」
と言って、ビジネスホテルの前に止まり、 フロント行って話をしてくれました。
時間は多分、深夜を回っていたと思います。
「大丈夫、部屋はあったからね。 今日はゆっくり休んで、 明日また何かあったらいつでも連絡して。」
と、名刺を手渡してくれ、去っていきました。
今になって思えば、 20歳の小娘が深夜の街をトボトボ歩き、 そりゃ怪しかっただろうし、 放っておけなかったことと思います(≧▽≦;)
そしてそんな20歳の私は、 当時は今のようなサザエ気質でもなかったので、 世の中には何て優しい人がいるんだと思いながら、 感謝の気持ちを表出する術も持たず。
いつも思い出しては感謝し、 いつかお礼をしなくてはと思いつつ、 大切にしまっていた名刺も無くし、 今日まで来てしまいました。
自分がどんどん年老いていくに連れ、 あの時の運転手さんの想いが身につまされ、 なぜすぐにお礼状を出さなかったのかと、 ひどく後悔するのです。
たった一回、数時間だけの出会いなのに、 30年以上経っても忘れられず、 ずっとずっと感謝し続けているわけですが、
でも、 それを口に出して伝えなければ、 しょせんは感謝していないのと変わりはないんだと、 思い知っては反省しています。
この話の他にも、後悔ネタは多々あります。 書ききれないのであとひとつだけ。
バスガイドをしていた頃、 車酔いをしてしまったおじいさんが、 観光名所に到着してもバスで休んでいたんですが、 大丈夫ですか?と私が差し出したお茶にいたく感激され、 ガイドさんのおかげで元気になったと喜んで帰られました。 そしてその後、 その方からたくさんのお礼の品物が会社に届きました。
新潟県の十日市市から来られた方だったと思うのですが、 地元の名物や九谷焼の陶製の額などが 段ボール箱いっぱいに入っていて、 達筆なお手紙は、私には読めず、 事務所にいる年配の人に読んでもらいました(笑) その手紙の中に俳句が一句。
みちのくの 花の乙女の 匂うバス
たった一杯のお茶と言葉掛けが、 こんなに大きくなって返って来るなんてと、 私もとてもうれしく思いました。
しかしっ!
やはり私はお礼状も出さず。
何を書いたらいいのかさっぱり分からなかったんだよねぇ。 何でもいいから心を込めてお礼をすれば良かったのに。 その方は、お礼を言われたかったわけではないでしょうけど、 それでも私が返信していたら、 もっと嬉しい気持ちになっただろうなぁと思うと、 本当に後悔しています。
感謝の気持ちはすぐに表す。 困っている人には声を掛ける。 やろうかやめようか悩んだ時には、行動に移す。
それは、自分が後悔しないための得策です。
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